60代の夫婦が、息子家族を招く日にソワソワするお話です。市民農園で作ったイチゴは孫に喜んでもらえるだろうか……
1人で朗読することも、3~4人で分担して朗読することも可能です。
長さは20分ほどです。
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※この台本は[えびな・いちご文学賞佳作受賞作品]を朗読用にアレンジしたものです。
イチゴが出来たら
柳原路耀(ヤナギハラロック) 作
[登場人物]
私 65歳 定年退職後に市民農園を借りて野菜を作っている
妻 62歳 私の妻
邦彦(くにひこ) 35歳 私と妻の一人息子
美香(みか) 32歳 邦彦の妻
安田 67歳 隣の畑を借りている人
※語りは「私」が担当する
※翼(つばさ) 4歳 私の孫(台詞は一言だけ)
[以下本文]
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膝を折って、茎から垂れ下がるイチゴを覗き込む。どっしりとして大きく、へたまで赤く色づいている。手のひらに載せて、よくよく吟味する。
舐め回すように見ているうちに味がどんなだか確認したくなってきた。
手の中の果実をそのままへたのところで摘み取り、口に入れる。甘酸っぱい香りと新鮮な果汁が口に広がった。自然と顔がほころびてしまうようなおいしさだった。もしかすると欲目というものかもしれないと思い、喉の奥に過ぎるまで慎重に味わい尽くした。
――このイチゴは、うまい。
立ち上がってゆっくりと歩き、畑に並ぶ畝(うね)を観察する。三十ほどの株はどれも順調に育ち、真っ赤に熟れた実をつけていた。奥まで伸びる長い畝を眺めていると、葉を茂らせた緑色の列車に、イチゴという愛らしい子供たちが乗っている想像が浮かんだ。
孫はきっと喜ぶだろう。口の中に残った香りを辿りながら、そう思った。
安田「今から収穫ですか」
隣の畑の安田さんが、収穫したばかりのタマネギを入れた籠を持って話しかけてきた。
私 「いえ、午後からやろうかと」
私が答えると、
安田「イチゴの収穫は、気温が低い朝ですよ」
安田さんは、私が収穫を勿体ぶっているのに対し、怪訝そうな顔をして教えてくれた。
私は口にすることが気恥ずかしく、麦わら帽のツバで顔を隠しながら言った。
私 「孫が来るので、イチゴ狩りをさせてやるつもりでして」
安田「あぁ、そうでしたか」
安田さんは合点がいったというように何度も頷いて、たわわに実ったイチゴに感嘆してまた頷いた。
安田「よく出来ましたなぁ」
私 「安田さんに面倒を見てもらったおかげです」
私はイチゴの出来栄えに感謝して、麦わら帽を取って頭を下げた。
安田「いやいや、私は一年先輩だが、それほど上手くは出来ませんよ。イチゴ農家から株を譲ってもらって同じようにしていても、作り手が違えば作物も違うものですな」
安田さんは自分の畑のイチゴと比べて感心していた。
私は市民農園で野菜を作り始めて三年が経つ。キュウリ、ナス、トマト、ネギ、ジャガイモ、トウモロコシ、一通り作ったが果物は経験がなかった。一年前に安田さんが作ったイチゴをもらい、家で妻と二人で食べた。とてもおいしかった。
私 「次はこれに挑戦しよう」
私が意欲を見せると、
妻 「出来たら、翼(つばさ)に食べさせてあげたいわね」
と、妻が言った。
私たちの一人息子は結婚していて、四歳の男の子がいる。初孫である。息子家族は車で一時間ほどのところにいるが、ほとんど会いに来ない。ほとんどというより、翼が生まれて、一度来たっきりだった。妻は、息子家族が寄りつかないのは私のせいだという。私が仕事人間で、家庭を顧みず、子育てに参加しなかったことが原因だというのだ。そして、それは私自身も自覚していることではあった。私は息子との会話の仕方がわからないまま今の今まで過ごしてきた父親である。たまに口を開けば、
私 「男なら曲がったことをするな」
私 「弱音を吐くな」
私 「泣くな」
そういうことしか言えなかった。怨み節を言う妻に対しては、
私 「孫は、お嫁さんの実家にしか、なつかいものだろう」
そんな風に言ってお茶を濁した私だったが、
妻 「イチゴが出来たら孫を呼びましょう」
そう繰り返されると、いつの間にか孫を呼ぶことがイチゴを作る動機になっていた。私自身も息子やお嫁さんや孫に無関心なわけではなく、どこかで繋がりを求めていた。会社を定年退職して第二の人生に入ってから、段々とそういった感情が表に出てくるようになっていた。
私はイチゴ以外のキャベツ、そら豆、小松菜、タマネギなどを収穫して家に戻った。麦わら帽を脱いで玄関の壁にひっかけていると、妻の呼ぶ声がした。
妻 「電話があったわよ!」
私は、邦彦が来られなくなったのだろうか、と思いながら足袋(たび)を脱ぎ、続く言葉に耳を傾けた。
妻 「着くのが三時になるって!」
妻は、お昼を一緒に食べようと思って用意していたのに、と不満そうにしていたが、私は、とにかく来るのだな、と安堵した。
一年前、安田さんにイチゴ農家の山口さんを紹介してもらった。山口さんがハウス栽培しているイチゴは見事な出来栄えだった。それで飯を食っているだけのことはある、というものだった。私は山口さんから、長年の経験によって保証された生育のよい株を一つ譲ってもらった。畑に植えつけた株からはランナーが伸びて三十ほどの苗が出来た。その苗を一年かけて育ててきた。病気や害虫が出たら隣の畑の安田さんに対処法を教わった。それでも解決しないときはプロの知恵を借りにハウスの山口さんを訪ねた。もともと凝り性な質だが、孫を呼ぶという目的はさらにやる気を起こさせていた。市民農園で借りている六十坪の畑の中で、特に力を入れていた。
四月に入って実がつき始め成功が保証されてから、妻が邦彦に電話をかけ、「イチゴ狩りに来ないか」と誘った。妻の話では、邦彦は渋る様子もなく、二つ返事で承諾したらしかった。私はそのときも、ほっと胸を撫で下ろしたのを覚えている。
妻と私は正午に軽い昼食を済ませ、三時までゆっくりとして息子家族が到着するのを待っていた。妻は明らかに落ち着かない様子で、花を飾る位置を変えたり、キッチンを磨いたりしていた。私も同じように落ち着かなかったが、それを悟られたくなくて、ソファーにじっと身を固めて野球中継を睨んでいた。
妻 「そろそろかしら」
三時が近くなると、妻の落ち着きがさらになくなってきた。しきりに窓の外を覗いて息子たちの車が来ないか確認していた。
空は快晴だった。平均的な五月の気候で過ごしやすい日だった。
妻 「美香さんに会うと思うと、なんだか緊張しちゃうわね。翼はもう四歳だものね。ずいぶん大きくなったでしょうね」
妻は私にいろいろと言葉を投げかけた。私はソファーで、じっと身を固めていた。
邦彦と、お嫁さんの美香さん、孫の翼は三時を少し回ったころに到着した。
妻 「いらっしゃい」
妻は落ち着かなかった心はどこへやら、息子たちに会うと嬉々とした表情になって迎えていた。
美香「どうも、お久しぶりです。お父さん、お母さん、お元気そうでなによりです」
笑顔で挨拶する美香さんは、以前に会ったときと変わらない明るく朗らかな印象だった。美香さんに手を引かれて入ってきた翼は、私たちが何者かもわかっていないような、きょとんとした顔をしていた。妻が、
妻 「よく来たわねぇ」
と、親しみを込めて触れようとすると、身を捩(よじ)らせて美香さんの陰に隠れてしまう。邦彦が子供のころによく似ていると思った。
息子家族を居間に案内し、お茶を煎れた。テーブルを囲みひとしきりおしゃべりに興じた。とはいっても場を盛り上げているのはもっぱら女性陣だった。私は話の中に、邦彦の仕事は順調かとか、出世したとかの話題が出てくるのを興味深く聞いていた。
しばらく経って、翼が私たちに慣れたのか家の中を探検し始めたので、邦彦は、かつて自分が暮らしていた家を見せて回った。それをきっかけにして、
妻 「お父さんの畑を見てきてあげて。イチゴ狩りが出来るわよ」
と、妻が促した。
私たちは歩いて畑に向かった。
私が借りている市民農園は、住宅地の裏手の、すぐ近くのところにある。たまたま市の広報で借り手を募集しているのを見つけて以来、畑通いが唯一の趣味となっている。振り返れば、畑に出会っていて本当によかった。定年退職して、何か目的を持って生活しなければと焦っていた時分、向いているとも思わなかったがとりあえず野菜作りを始めた。それが予想に反して生きがいと呼べるものになってきた。初めは三十坪だった畑を、倍の六十坪に増やしたほど熱中している。
畑に着くと、美香さんが一番に感嘆の声を発した。
美香「わあ、いろんなものを作っているんですね。――あっ、小松菜がこんなにきれいに出来てる」
邦彦は、
邦彦「へー、ふーん」
と、唸り声を上げていた。今日の主役の翼は、やはりうちの男の血筋なのか口は達者ではないようだったが、イチゴを見つけると弾む足取りで近づいていった。翼に続いて、皆でイチゴの畝の周りにしゃがんだ。
私 「へたの部分から摘み取るとうまくいく。よく色づいているのから穫りなさい。この籠に入れればいい」
美香さんは翼を手伝って一緒にイチゴを摘んだ。籠に入れる前に早速口にして、
美香「わあ、おいしい。ほら、翼、食べてごらん、おいしいでしょう」
と、賑やかになってイチゴと戯れた。翼は満面に幸福感をたたえて、
翼 「おいしい」
と言った。邦彦は、
邦彦「おじいさんは、何でも本格的にやる人なんだ」
と妻や子に言っていた。
私はその言葉に胸を打たれるものがあったが、顔には出さなかった。
会わないうちにずいぶんと成長していた翼は、周りが見えなくなるぐらい真剣にイチゴを摘み取っていた。私はその姿を、次の世代の父と子はどんな関係を築いていくのだろうか。そう思いながら眺めていた。
籠いっぱいに穫り、まだ青いものを残してイチゴ狩りは終わった。
畑を出るとき美香さんがいった。
美香「お父さんの恰好、本物の農家の人みたいですね」
私は麦わら帽を被り、首にタオルを巻き、日に焼けないための長袖シャツ、作業ズボン、足袋を履いている。
私 「そうかね」
私は麦わら帽の位置を直した。
家に帰り、器に盛ったイチゴを皆で味わった。褒め言葉をたくさん頂戴した。私はくすぐったい思いで聞いていた。
美香「大きいし、形もいいし、甘くて、スーパーで売っているのよりおいしいです」
美香さんは明るい空気を振り撒きながら話した。
妻 「そうね。お父さん一生懸命だったのよ」
男三代、無口なので、妻と美香さんが会話を進めていた。
美香「畑にいるお父さんは生きいきしていらっしゃいますね。肌の艶もよくてお元気そうです」
妻 「ええ、好きなことが見つかって本当によかったと思うわ。退職後の男の人って難しいっていうもの」
美香「うちの父は定年退職してから家でゴロゴロしてばかり。少しは見習ってほしいです」
会話をしながらもイチゴは好評で、皆がテーブルの上に手を伸ばした。器の山はみるみる減っていく。栽培を始めた当初は三十株では多すぎて食べ切れないかと心配したが、家族五人が集まると少ないぐらいだった。もう一つ畝を作ればよかったと思った。
イチゴが残り少なくなったところで、妻は牛乳と砂糖を持ってきた。
妻 「邦彦は小さいころ、こうやって食べるのが大好きだったわよね」
小振りの器に移して、それらをかける。
邦彦「懐かしいなぁ」
邦彦が受け取ってスプーンを手にした。翼の前でイチゴを潰す。果汁が滲み出して、器の中は白とピンクのマーブル模様になり、甘酸っぱい香りが立ちのぼった。
翼は瞼を大きく開いて、自分でやりたい、と邦彦のスプーンを掴んだ。潰れかかったイチゴに力を入れ、牛乳をさらに赤く染める。それを掬(すく)って口に運び、満面に笑みを浮かべた。続いて、もう一つ潰そうとしてスプーンに力を入れる。すると丸いイチゴに滑ったスプーンが器の底に当たって高い音が立った。牛乳が飛び散り、私の顔に目がけて降り注いだ。
妻が楽しげに笑い、邦彦と美香さんの笑い声が足され、私も手で顔を撫でながら笑いが漏れ出た。普段二人きりでいるときにはしないような、幸福な笑い声を出していた。
息子たちは暗くなる前に帰っていった。私と妻は畑で穫れた小松菜やそら豆やタマネギをたくさん持って玄関先で見送った。
妻 「また来て頂戴」
妻が野菜を渡すと、
邦彦は、
邦彦「こんなにもらっても食べきれない」
と、困った顔をした。
妻 「お父さんの野菜はスーパーで買うのよりおいしいわよ」
妻は半ば押しつけるようにして、
妻 「また来て頂戴」
と、もう一度繰り返した。
少し間が空いたあと、邦彦は言った。
邦彦「今は仕事が忙しくて。今日も本当は仕事があったんだけど約束していたから。――そうそう来られないんだ」
私は自分が仕事を第一に考えてきた人間であったから、もちろん邦彦の気持ちがわかった。息子は私に似ているな、と思った。
去っていく車に、妻は手を振りながらぽつりと呟いた。
妻 「梨(なし)の礫(つぶて)だったことを悪いと思って、それで無理をして来たのかしら」
私も、そう思った。
二人だけになって居間に戻ると、元の静かな空間があった。孫が来る前より静かになっていた。
妻 「美香さん、爽(さわ)やかで、楽しい人ね」
私 「そうだな」
妻 「考えてみれば、結婚するときと、翼が生まれたときと、二回しか会っていないんだもの。今日初めてどんな人かわかったような気がするわ」
私 「そうかもな」
妻 「夫婦仲もよさそうだし、翼もいい子に育ってるし、幸せそうだったわね」
私 「そうだな」
妻 「邦彦はあなたに似て寡黙だから、美香さんのように元気な人を選んだのかしら」
私 「同じだな」
妻 「邦彦は仕事が忙しいみたいね。美香さんと翼だけでも、たまに会いに来てくれたらいいのだけれど・・・・・・なかなかそういうわけにもいかないでしょうね」
私は祭りのあとの虚しさが出ないように抑えていたが、妻は寂しげな心持ちが表に出ていた。
妻 「イチゴ、翼はとても喜んでいたようだわ」
私 「ああ」
妻 「来年はもっとたくさん作ったらいいかも。お土産に持たせられるぐらいに」
私 「うん」
妻 「そうしたら、また呼びましょうか」
私 「そうだな」
妻はそこで話を切り上げ、夕食の支度をするためにキッチンに立った。私はテレビを点けた。ソファーに腰かけ、画面の中の出来事を惰性で眺めていた。あんなに野菜を持たせたが食べきれないかもな、そんなことを考えていた。
電話が鳴った。妻はキッチンから居間に小走りで来て受話器を取った。
妻 「あら、もう家に着いたの」
声の調子で、邦彦からの電話だとわかった。
妻 「そう、そうね。野菜ちょっと食べきれないわね」
妻は受話器に向かって苦笑していた。
妻 「来年またイチゴを作るわね。そのときには来て頂戴」
少し間が空いたあと、
妻 「そう、そうね。わかったわ」
妻は低い調子になって俯いた。
妻 「それじゃあ、お父さんにもいっておくわ」
受話器が置かれ、電話は終わった。私はテレビに顔を向けて呼びかけられるのを待った。妻はソファーまで来て私の横に座った。
妻 「イチゴの時期に休みが取れるかわからないって」
私 「そうか・・・・・・」
私は落胆が声に出ないように心がけた。しかし、続く妻の言葉に、俄に顔がほころびそうになって、必死に平静を装った。
妻 「お父さんとお母さんが翼に会いに来てくれないかって、言ってたわ」
私 「そうか・・・そう言ってたか。うん、土産は、イチゴがいいだろうな」
その後も妻が何か話していて、
妻 「あなた、聞いてる?」
と、不満げな様子が耳の端に伝わってきたが、私はイチゴの畝を増やす算段を巡らせていた。退職後に熱中できるものができて本当によかった。市民農園を借りて本当によかった。そのことを噛みしめていた。
(了)
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(2023年6月14日更新)
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