『エレン曜日』
不倫・・・? 二股・・・? 小説家を目指す僕と、写真家エレンの奇妙な関係。
長さ20分ほどの【朗読劇用のフリー台本】です。
登場人物は3人です。
台本の利用に際して、作者・柳原路耀(ヤナギハラロック)に許可を求めたり、脚本料を支払う必要はありません。
※ページ下に[利用規約]がありますので、併せてご確認ください。
エレン曜日
作・柳原路耀(ヤナギハラ ロック)
登場人物
僕(語り) 45歳。小説家を目指している。
エレン 35歳。米国人。日本語はペラペラだが、ひどい英語訛りがある。
玉木社長 46歳。出版社社長。
1
玉木「先生は一度小説から離れて舞台脚本をやったら変わるのではないかと思っています。市民劇団の舞台で脚本料はほとんど出ませんが、やってみませんか? 役者と一緒に作り上げる舞台は、小説と違って視野を広げるいいきっかけになるはずです」
玉木社長が僕に期待してくれているのはわかっている。文学賞の最終選考に残っただけで、出版社を一円も儲けさせていないのに、『先生』と呼んでくれるぐらいなのだから。けれども僕は、
僕「小説以外は興味ありません」
と断って、電話を切った。
台所に行って、グリルをちょっと引いてみたらまだ全然サンマに焦げ目が付いていなかったから、電話の前を通って軋む階段をのぼった。古い家だということもあるが、不自由な右足を庇って左足で踏み込むので余計にぎしぎしいう。2階からさらに屋根裏へと通じるハシゴをのぼり、小説を書くための資料が積んである部屋に行った。天井が低く、ぎっしりと本で埋め尽くされているそこは、物語の構想を練るには最高の空間なのだ。不自由な足でいちいちハシゴをのぼる価値はある。電気スタンドを点ける。読みかけの一冊を開いて物語の構想に没頭しようと寝転がる。とそこへ、換気窓から車のクラクションが飛び込んで邪魔をした。窓の外を覗いた顔に、湿気を帯びた風が当たる。薄暗くなったブドウ畑の脇で、赤い車が自転車とすれ違えず、立ち往生しているのが見える。
エレン「どきなさぁいよ!」
聞き覚えがある怒鳴り声だ。エレンだ。また写真を撮りに来たのか?
屋根裏から降りてくる途中でサンマの匂いがして、慌てて台所に行った。
危うく焦がすところだったサンマをグリルから出して皿に乗せていたら、
エレン「カズノリ! 出てきなさい!」
と玄関から声が聞こえた。
まったく人の家を訪ねてきて日本語がおかしいだろうと思いながら玄関に行くと、エレンは蹴飛ばすように靴を脱ぎながら、一眼レフカメラを僕に構えて連写した。
僕「勝手になんだよ」
エレン「何度も撮ってるじゃなぁいのよ」
僕「勝手に入ってくるなという意味だよ」
エレン「鍵をかけてないから悪ぅいのよ」
エレンはそう言って連写する。
僕「僕を撮るのは飽きたって言ってただろ」
エレン「ツーショットなら意味がある」
エレンは僕の足元を指さした。
知らないうちに、足元に白い猫がいた。白いというか、ドブに突っ込んだみたいに黒く汚れた猫だ。しかも僕と同じように足が不自由で、不揃いな足の運びをしている。
僕「勝手に猫を入れるなよ」
エレン「あなたにあげるわよ」
僕「あげる?」
エレン「その猫、目が見えないのよ」
僕「目が見えない?」
エレン「被写体として興味深くて拾ったのよ。飽きたから捨てようと思ったけど、玉木さんが可哀想って。わかるでしょう」
僕「全然わからない。玉木社長は本当にいい人だし、綺麗な奥さんもいるのに、なんでエレンと不倫してるか。エレンはエレンで、僕と付き合いたいと言ってきた。久しぶりに彼女ができるんだからこの際二股掛けられてたっていいやと思ったら、今度は一方的に別れてほしいと言ってくる」
エレン「ちゃんと理由を説明したわよ」
僕「玉木社長が冷たくなったから、社長を嫉妬させるために僕を使ったってことだろ? わからないのはそれじゃなくて、今でもときどきこうして写真を撮りに来ることだ」
エレン「私は日本の福祉をテーマにしている写真家なのよ。障害者のあなたを撮るのは当たり前」
僕は足を叩いた。
僕「人の障害を食い物にするな!」
エレン「小説で目が出なくて運送会社の倉庫でアルバイトしているときに、フォークリフトに足を轢かれた。でも、保険が出るから小説に集中できると喜んでる」
僕「だから何だよ」
エレン「あなたは今45歳。売れない小説を書き続けてあっという間に老人になる。気が付かない? 体じゃなくて心に障害があるのよ。そういうところが私の被写体なのよ」
僕「エ・・・エレンだって! 不倫してる間にババァになる!」
エレン「一緒にしなぁいでよ。わたぁしは10年経ってもブロンドの美人。ちゃんと想像してみなさい」
エレンが自信ありげに笑った。
うぅ・・・エレンは確か・・・35歳。10年経って45歳になっても・・・ババァ・・・にはならないかも。性格はクソだけど、玉木社長がゾッコンになってしまうのも仕方がないぐらいに、美形ではある。
エレン「言いたいことは特にないのね。じゃ、行くわよ」
エレンが靴を履いて玄関を出ていく。
僕「ちょっと! 猫を!」
盲目だという猫が見当たらず、家の中を探す。
僕「なんてことだ!」
台所の床に、サンマの頭と尻尾が散乱していた。
僕「僕の夕飯が! エレン! 勝手に帰るなよ!」
僕は叫びながら家の中を走る。2階にあがって、屋根裏に通じるハシゴのところで猫を見つけた。おぼつかない動作でハシゴを登っている途中だった。本当に目が見えないのか? 不自由な足でどうやって登るんだ? と、興味をそそられてじっと観察した。
猫は鼻をひくひく動かしている。ヒゲが空気を掴むように動いている。不自由な足は使わず、もう片方の後ろ足をひょいと上の段に乗せ、次に前足を伸ばして登っていく。だいぶ危なっかしく、何度もハシゴから落ちかけている。ハシゴの下には僕の布団が置いてあった。落ちてもそれがクッションにはなるだろう。でもよく見たら、すでに足跡を付けられている。これ以上汚されたらたまらない。僕は布団を引っ張ってどかした。
どうだ、これで落ちたら板張りの床だぞ。そう意地悪く観察していると、エレンの声が聞こえた。
エレン「カズノリ! こんな霧じゃ車を出せない! 泊めてくれるわよね!」
窓から外に目をやると、二百メートル先のお隣さんの明かりがぼんやり霞んでいた。山からおりた霧が、ブドウの里を包んでいた。
2
まったく勝手な女だと思いつつも一晩泊めてやることにしたが、エレンは、
エレン「この家はピーナッツしかないのか」
と文句たらたらでビールを飲みまくり、酔いが回ってくると不倫の愛について勝手にしゃべっていた。
エレン「玉木さんはイケメンで、身のこなしやスタイルもいい。日本人であんなナイスガイはいない。それにお父さんから受け継いだ出版社をしっかり守っている。尊敬が愛に変わったのよ。本物のLove。その玉木さんがカズノリなんかに期待してる、意味不明よ。舞台脚本をやらないかと勧めてもらったのでしょう? でもカズノリは断る。視野が狭いから」
ずけずけと嫌なことを言う、この女のせいでサンマも食べ損なった、とムカつきを堪えながら僕は聞いていた。
しかし、なぜこうもエレンは頭の中のことを簡単に口から出すのか。言っていいこと悪いことの区別がないから、一時的に三角関係だったことを、僕も玉木社長も聞かされている。
僕「その経緯がありながら、どうして社長は応援してくれるんだろう」
そう、首を傾げながら呟くと、
エレン「玉木さんは女のことを根に持ったりしなぁい。遊び相手はたくさんいるから」
僕「えぇ! そうなの!? じゃあエレンは社長を嫉妬させたくて、また僕を誘惑してるとか!?」
エレンは缶ビールでテーブルを叩いた。
エレン「変な期待してんじゃなぁいわよ」
目が据わっている。
田舎の秋は、夜が冷える。祖父からもらった古い家はすきま風が入ってくる。エレンに睨まれている間、畳の部屋の方から猫が足を引きずって歩く音がしていた。
猫は病的な色のない目をしていてほとんど見えていないらしく、家の中の角という角をヒゲでこすって、自分がいる世界を確かめているのだった。
夜通し、酔っ払い美女に付き合わされたかと思ったら、
エレン「トイレにいく」
という言葉をきっかけに家の中が静かになった。猫は歩き疲れて畳の部屋で寝ていた。
窓から朝日が差し込み、外は霧が晴れて、赤い車がなくなっていた。
エレンに置いていかれた猫は、数日経つとこの家の間取りを覚えて、ちょっとヒゲで確認するぐらいで自由自在に歩き回れるようになった。
スーパーに並ぶサンマの数が減ってきたころに今年最初の雪が降った。庭に出て、落ちてくる粒の大きな雪を見上げていたら、カズが屋根の上にいるのを見つけた。そう、猫の名前はカズという。僕はカズノリ。足が悪いカズノリに似ているからカズという名前を付けたとエレンが言っていた。なんていう失礼な女だ。そう、そのカズが、ヒゲで風の流れを感じつつ、雪が積もりかけている雨樋に沿って、不揃いな足の運びで歩いている。
そのときちょうど家の電話が鳴り始めて、僕は誰からだろうと気にしながら、ひやひやした気持ちでカズを見上げていた。あの高さから落ちたらさすがにまずい、と思わず両手を構えていた。
けれどもそういう心配はカズには必要ないらしい。ちゃんと屋根の形を視覚以外の感覚で掴んでいて、着実に二階の窓まで歩いて、うちの中に入っていった。僕はホッとして鳴り続ける電話を取りに行った。
電話は玉木社長からだった。
玉木「舞台脚本をやってみる気には、まだなりませんか?」
僕「社長はどうしてそこまで僕を気に掛けるのですか?」
玉木「才能があると思うからです」
僕「エレンは社長と僕と二股かけてたんですよ。気にならないですか?」
玉木「二股は私の方です」
社長の後ろの方で、奥さんと子供たちの声がしていた。ふとエレンの顔が浮かんで、もの悲しい気持ちになった。
社長からは再三勧められたものの、僕は舞台脚本を断って受話器を置いた。
そのとき、背後に気配を感じて振り返った。エレンが僕の顔の前にカメラを近づけて連写した。
僕「何やってんだよ」
エレン「ここぉろの障害を撮ってる」
僕「じゃなくて、勝手に人の家に」
エレンはお構いなしにシャッターを切って、それが一段落すると勝手に冷蔵庫から缶ビールを出して飲み始めた。
エレン「雪がすごくて帰れそうにない」
窓の外を見ると、雪の降り方が激しくなっていてブドウ畑が白く霞んでいた。エレンが乗ってきた赤い車にも積もり始めていた。
2階の窓を開けっ放しだったことを思い出して閉めにいったとき、カズの姿が見えないことに気付いた。窓から屋根を見てもいない。ビールを飲んでいるエレンを放っておいて家の中を探し回るが見つからなかった。排泄しに外に出たのだろうか、そう思っていたら、夜になっても戻ってこなかった。目と足が不自由な身で外の寒さを乗り切れるだろうか。いや、カズは生命力があるから大丈夫だろう。酔っ払っているエレンにどう思うか聞いてみたら、
エレン「あの猫はかなりの年寄りよ。猫は死ぬ姿を見せたがらないというからねぇ」
と、据わった目で言っていた。
カズに世話らしい世話をしていなくて、サンマばかり食べさせていたのがいけなかったのかな・・・と僕は少し胸が痛んだ。
エレンは二日泊まって雪が溶けてから都会に帰っていった。
ブドウ畑を遠ざかる赤い車を見送りながら、玉木社長が家族サービスをしている土日に僕のところに来るんだなと思った。ああ見えて寂しがり屋なのかもしれない。かく思う僕も、口の悪いエレンがいなくなると、胸の奥に隙間風が吹くのを感じるのだった。
3
冬の間ずっと引きこもって小説の資料を読んでいた。
春がやってきたとき、カズはどこかで死んでしまったのだなと思った。もともと野良猫らしいから仕方がないかもしれない。けれども同居していながら、体を撫でてやったりせずなんの関係性も持てなかったことが心苦しく感じられた。僕はコミュニケーションを取る能力に欠けているのだ。
そんなことを思っているところに、ドカドカとうちの玄関に立ち入る気配がした。今日は土曜日? またエレンか? 玄関を見にいったら、なんと5匹の白い猫が勝手に上がり込んでいた。その中の汚れた一匹が、廊下に上がってきて、ヒゲで僕の足元を探る。その後を、毛足の長い貴婦人のような猫がついてくる。そのまた後から、3匹の子猫がみゃーみゃーいいながらついてくる。足元をすり抜けていく足の不自由な猫を振り返って、僕は思わず言った。
僕「カズ! お前は視野が広いんだな!」
カズは病的な色のない目をこちらに向けて、『にゃ~』と渋い声で鳴いた。
そのとき、カメラを構えたエレンが入ってきた。
エレン「年寄りと思ったら子供ができるのね」
僕はもうエレンが突然現れるのには慣れて、大して驚かなかった。
僕「エレン、カズにレンズを向けないのか?」
エレン「障害を感じないと撮る気にならない」
僕「エレンは障害しか愛せない、そういう障害なんだな」
エレン「わかったようなこと言うじゃない」
僕「不倫なんてまさに障害だ。エレンは孤独だと感じているのに、変われないでいる」
エレン「それはあなたの方でしょう」
僕はコードレスを取ってきて、エレンの目の前で電話を掛けた。
僕「もしもし、玉木社長の奥さんですか? お話ししたいことがあります」
エレン「まさか私のことを言うつもり? 玉木さんにも迷惑がかかるとわかってる? ぶっ殺すわよ」
鋭い目で睨むエレンに構わず、
僕「舞台脚本をやります、と社長にお伝えください」
そう言って電話を切った。
僕「どうだ、僕は変わるぞ」
エレンに挑戦的な視線を送ってやった。
エレン「私にも変われって言いたいの?」
僕「本当は僕のことが好きなんじゃないか? もう一度付き合ってみる?」
エレン「バカなこと言わないで。付き合うわけないじゃない」
僕「うん、自分でも口にしてみて、ゾッとしたよ」
エレン「ぶっ殺す」
僕はひるまず、不敵な笑みを送ってやった。エレンはそんな僕をあしらう余裕で、もっと不敵な笑みを返してきた。
了
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(2023年6月14日更新)
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