クロの話(フリー台本/1人用)

私が幼いころ家で飼っていたメスの黒猫のクロの話である。母は可愛がっていたが、隣の魚屋から魚を盗んで来たり、子猫を産んだりするので、私たちは振り回されていた。だが、ある日、呆気なくクロは交通事故で死んでしまうのである。

長さ30分ほどの朗読台本です。

この台本は作者の渡辺知明さんにご許可を頂いて掲載しています。

渡辺知明さんは長年「朗読」や「コトバ」の研究をされている方です。『朗読の教科書』の著者としてご存知の方も多いのではないでしょうか。

渡辺さんご本人が朗読されている動画をYouTubeで見ることができます。
朗読の勉強をされている方はぜひ参考にしてみてください。

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クロの話

渡辺知明 作

    一

 子どものころ、私の家ではいろいろな猫を飼ったが、いちばん最初の猫がクロだった。細く引き締まった体つきをしたメスの日本猫で、長く伸びた黒いシッポがみごとだった。その名のとおり、全身まっ黒でつややかな猫だったが、二ヵ所だけ白い部分があった。
 ひとつは顔である。口を中心に丸く白いので、黒い目もとはプロレスラーの覆面のように見える。ただし、覆面は少しズレていて、おまけに曲がったチョビ髭があるので、顔つきはやや滑稽だった。
 もうひとつ白いのは胸である。クロを抱きかかえて仰向けにすると、のどから胸にかけて腹がけのかたちに白くなっている。そして、胸のあたりの白く柔らかな毛を指先で探ると、ピンク色の小さな乳首を見つけだすことができた。
 私はクロを猫の代表のように思っていたので、近所で見かける猫の不格好さにはあきれさせられた。ごろんと丸い体に太く短い足、不釣合に大きな頭、ちぎれたように短い尻尾といった具合だった。そんな猫とくらべて、私はクロの美しさに誇りと満足を感じたものである。
 私とクロとのことでは、母から繰りかえし聞かされる話がある。まだ私が幼稚園にあがる前のことだそうだ。夕食の支度の最中に、母は焼き上がった魚を食卓に並べてから、私に見張りを頼んだ。たぶん私は絵本でも見ていたのだろう。魚はサンマか何かだったろう。
「クロに魚を取られないように見ていてね」
 母が台所へ戻ったとたんに呼び声が聞こえた。
「かあちゃん、クロが魚を取ってった!」
 この話をするたびに母は笑いだしてしまう。
「おまえは、たしかに言われたとおり魚を見ていたんだから、叱るわけにもいかなかったよ。だけど、もう少し気をきかしてもよかったろうにね」
 私はもう三十をすぎて結婚もしている身だが、この話を聞かされると今でも顔が赤くなる。三つ子の魂百までのたとえどおり、この話が私の本質を言い当てているような気がするのである。私は積極性のない人間で、何か事が起こっても、ぼんやりながめているようなことが多い。今でも、人から用事を頼まれると引き受けるが、義理を果たすようなつもりだから、うまくいかないのである。
 ただし、この話については、私にも言い分はあるのだ。たしかに私は魚をとって逃げて行くクロを押さえることはできなかった。しかし、それは私の過失というよりは、クロのすぐれた敏捷性を証明しているのである。いくら私が幼いとはいえ、まさか食卓の魚だけを見つめていたとは思えない。クロにも注意は向けていたはずである。それでも、クロは私のすきを狙って魚を爪で引き寄せてくわえ去ることができたのである。
 そのあとでクロと魚がどうなったのか母は覚えていなかった。もちろん、私も覚えてはいない。とにかくクロは母から厳しく叱りつけられたにちがいないのである。
 私は母がどのようにクロを叱りつけるか、そのやり方はよく覚えている。
「動物は人間とちがって言葉がわからないから、悪いことをしたら、その場ですぐに叱らなくちゃならないんだ」
 母がそう言いながらクロの後ろ首をつかんで頭をこぶしでたたくようすが目に浮かぶ。クロの白い鼻先を畳の表面に押しつけているのは、座敷におシッコでもしたか、食事の刺身でも盗んだときのことなのだろうか。
 私は、そんな母の態度に恐怖を感じたこともある。
「だめじゃないか、こんなことして。二度とするんじゃないよ。わかったか、わかったか」
 人間の子どもにでも言い聞かせるような言葉をかけながら、母は繰りかえしてクロの頭をたたくのである。そばにいると、こぶしが頭蓋骨に当たって響く音が聞こえた。私は母が猫を殺してしまうのではないかとおびえながら見ているだけだった。
 しかし、私の心配はいつも取り越し苦労におわった。折檻のあとで一度は逃げ出したクロは、しばらくすると姿を見せて、まるで何もなかったような顔つきで体をなめまわしていた。ときには、たたかれたことなど忘れたように母の膝に上がりこんで寝てしまうこともあった。
 今になって考えれば、家じゅうのだれよりもクロをかわいがっていたのは母であり、まちがっても死なすようなことをするはずがなかったのである。

   二

 母の話によると、クロは私の生まれる一年前から家に飼われていたそうである。
 新婚当時、父と母が村の雑貨屋の二階に下宿していたとき、母は近所の農家からちょうど掌に乗るほどの子猫をもらってきた。その農家では持参金がわりにカツオ節をつけてくれたという。
 父が仕事から帰ると、さっそく母は子猫を見せた。
「いいもの見せてあげる」
 はしゃいだ気分で母は両手に包んだ子猫を差し出した。
「なんだ、猫か」
 父は顔をしかめて、つぶやいた。
「ねっ、飼ってもいいでしょ」
 母は父も子猫を喜ぶものと思っていたからがっかりした。父が猫ぎらいだとわかったのは、だいぶあとになってからである。子どものころ、飼っていた伝書鳩を猫にかみ殺されてから猫がきらいになったのである。
 まだ、母はそれを知らなかったので、自分の態度を馬鹿にされたようで悲しかった。けれど、父はそんな母の心を見ぬいたのか、結局は子猫を飼うことを許したのである。
 猫ぎらいの父が、なぜ猫を飼うことを許したのか。その辺の事情を母は語りはしないが、私には父が母の心中を思いやってのことに思える。
 そのころ、父は電車で三十分ほどかけて、県庁のある市の事務用品店に勤めていた。父が三十、母が二十四のときである。父は二十歳で戦争に引き出されて、満州で二年、南方の島で三年を過ごしていた。母は山間の村で育ち、二十三で親戚を頼って町へ出た。そして、翌年、父と見合いをして結婚をした。
 母にとって、父との結婚生活はもの慣れない里での生活の二年目であった。ふるさとの山にいたとき、母は猫や兎や山羊などの動物を遊び相手に暮らしていたから、猫を飼いたくなるのもごく自然だった。また、父が勤めに出てひとり家に残される母にとって猫は話し相手であり、心の支えにもなった。おそらく、父も母のそんな心のうちを察したはずである。
 はじめのうちは、クロも母の期待どおり家の中でよく遊んだ。紙クズを丸めてころがせばジャレつくし、ぶら下げたヒモを追い回しもした。しかし、二、三ヵ月もすると、クロはもっぱら外で遊ぶようになった。なにしろ田舎のことだから、家の周囲には見わたすかぎりの野や畑が広がり、クロの遊び場所はいくらでもあった。
 毎日、朝早くからクロはどこかへ出かけ、帰ってきたときには鼻の先から背中までホコリにまみれて、黒猫どころか灰色猫に化けていた。ただ、長く伸びた黒いシッポだけはいつも汚さずにいたのが不思議だった。
 クロは機敏に動いて、よくネズミを捕る猫だった。まず家じゅうのネズミを捕りつくしてしまうと、つぎは隣り近所の家にも出張して捕ってくるようになった。しだいにクロの活動範囲は広がり、驚くほど遠くの家でもクロの姿が見られるようになったのである。
 クロはネズミを捕ると必ず母のところへ持ってきて見せた。首のうしろをくわえてぶら下げたネズミを、母の足下にぽんと放り出すのである。その無造作な態度のどこかに獲物を捕らえたことを自慢する得意気な表情があらわれていた。
 それから、クロは母の口から賞賛の言葉を聞くまで、その辺りにどっかりと腰を下ろしたまま動こうとはしなかった。
「おお、よく捕ったね。お利口、お利口」
 
母の声を聞くと初めて、クロはネズミに食らいつくのだった。
 ネズミはたいてい虫の息の状態で動けないのだが、ときには最後の力をふりしぼってチョロチョロ走り出すこともあった。しかし、クロはネズミが走りだしたのには、まるで気がつかないようなふりをしている。もう少しで逃げきれそうだという場所までたどりつくのを待ち構えていて、その瞬間にネズミに飛びかかって捕まえるのである。つまり、ネズミをじらして、かまっているのである。そのためにクロはネズミを追いかけて部屋中を走り回ることになる。
 そうなると、ネズミを見慣れた母でも、さすが気味が悪くなり、思わずクロをどなりつけるのだった。
 しかし、近所のおかみさんたちから、「クロはいい猫だね。よく、ネズミを捕ってくれるから助かるよ」などと声をかけられると、母はまるで自分がほめられたようにうれしかった。
 私が生まれて半年ほどすぎたころ、父が荒れた時期があったという。それまで、決まった時刻に帰宅していた父の帰りが遅くなり、酒に酔って帰る日も増えた。
 父はもともと口数の少ない方だから、たまに酒の匂いをさせて帰ることはあっても、母に小言をいうようなことはなかった。それが、おぼつかない足どりで家へ帰ってくると、何やらわけのわからない繰りごとをいって母をどなりつけるのである。
 最初、母は生まれた子どもにかかりっきりの自分の至らなさを責めているのか、クロを飼ったことを怒っているのだろうかと気をやんだ。母は内気な性格だから、そのわけを父に尋ねることもできずに、しばらく思い悩んでいた。ついに、思いきって尋ねてみたが、父はろくな返事もせずに黙りこんでしまった。酔いつぶれた父をどうにか寝かしつけてから、母はひとり布団にもぐって不安な思いでクロを抱きしめて眠りにつくこともあった。
 独立して商売を始めたいのだと父が打ちあけたのは、それから三ヵ月ほどしてからのことである。決心がつくまで父もずいぶん悩みぬいていたのだった。母は初めて父の考えを知った。父はおまえの同意がなければ計画は取りやめるといった。父に頼りにされていることが母にはうれしかった。父のつよい説得により二人でやればどうにかやれそうな気がしたので母は同意した。
 翌日から父は親戚の家を一軒一軒まわって、小さいながら文具店を開くだけの資金を借り集めた。そのうちに父の深酒もすっかり止んでいた。
 次の年の春、私たち一家は店を開くために、新しい町へ引っ越した。そのとき、私は一歳の誕生日を迎えたばかりであった。

   三

 私の育った町は古くから絹織物業の始まった土地として知られている北関東の市である。その中心街から北に少し外れた静かな商店街に私の育った家はある。市を南北に貫く県道に面した木造二階建ての借家だった。もとは染めもの屋として使われていた家なので、柱の一部に濃紺の染料の染みのついた部分もあった。
 家のすぐ裏手に小学校があり、家の前は通学路にあたるので、商売には好都合だった。しかし、クロと私の家族にとっては不幸な事情がひとつあった。
 家の左隣が魚屋だったのである。それは引っ越す前からわかっていたのだが、商売のことで頭がいっぱいの父はクロのことなど思いもしなかった。しかし、もし考えついたとしても、商売に好都合なその場所をほかに代えるわけにもいかなかったのである。
 クロの盗みが始まったのは、引っ越して間もなくのことだった。もちろん、クロは最初から魚ばかりをねらったわけでない。初めはネズミも捕った。それが、いつの間にか魚に変わったのである。しかし、クロが取ってきた魚を母の足下にぽんと放り出すやり方は、ネズミのときとまったく同じだった。
 魚といっても、いわゆる尾頭つきを丸まる一本くわえてくるわけではない。たいていは、切身一切れとか、三枚おろしの中骨とか、二つ割りの頭などであった。
 ところが一度たいへんなものを持ってきたことがある。大きなマグロのかたまりである。それまでの盗品については、わざわざ返しに行くのも大げさだと思って、母が内緒で処分をしていた。猫ぎらいの父にクロの犯罪が知れることを恐れたのである。
 しかし、そのときは黙って済ますわけには行かなかった。母は泥まみれのマグロのかたまりを丁寧に水洗いして、クロの歯形の部分を切り落としてから、隣へ持参して見せて代金を払った。その晩、私たちは家族そろって珍しいごちそうをたっぷり食べることができたのである。
 クロの世話のすべてをしている母は、クロの行動の責任まで引き受けていた。家の商売と家事のほかにも、クロの食事や用便や入浴などのほか、病気のときには医者の役目まで自分ひとりでやった。だが、私や弟に手伝いを頼むことも、ごくまれにあった。
 クロはメス猫なので、毎年のように妊娠・出産という困った事情があった。これだけは母も責任を負うわけにはいかなかった。まず、妊娠に関しては人間の関知しないところであるが、子猫が生まれてからの処置には母もそのたびに困らされたようである。子猫の数が少なくて、どれも美しい毛色であれば、いつかもらい手もつくのだが、そういう恵まれた場合は少なかった。
 子猫は五、六匹生まれるのがふつうだったが、その中から運よく残されるのは一、二匹である。まず最初にはじかれるのが、クロや茶色の絵の具をでたらめにこねて塗りつけたような柄の猫である。次が赤トラ、その次が茶トラであった。
 残される幸運にありつけるのは、三毛や比較的大きなまだら模様の子猫である。不幸にも選ばれなかった数匹は、まだ目も開かずネズミのようにピーピー鳴いているうちに、母の手で処分された。
 子猫が生まれて四、五日もすると、いつも私の知らないうちに子猫の数が減っているのだった。どうやら、母が処分していると気がつきながら、その方法を尋ねるほどの関心は私にはなかった。
 ところが、なぜか一度、私と弟が母からその役目をおおせつかったことがある。たしか、私が小学三、四年生で、弟がまだ幼稚園にあがる前のことだった。
 私も猫好きだったが、生まれたてのやせたネズミのような子猫には少しも可愛らしさは感じなかった。それで母に言いつけられたとき、その処理方法をべつに恐れることもなく、ごく軽い気持ちで引き受けたのである。
 母は底に柔らかい布をしいたボール紙の小さな箱に四匹の猫を入れてふたをしてから、赤いきれいな包装紙でくるんだ。その箱を母から受けとると、私は弟を連れて川まで歩いた。箱の大きさとは不釣り合いな軽さが四匹の子猫の重さであった。子猫はピーピーと弱々しい声で鳴きつづけた。
 川に着いて橋の上から小箱をそっと落とすとき、私は、ある種のロマンさえ感じていた。ところが、ふとしたきっかけから自分の行為の意味に気づかされたのである。
 ゆっくり川面を流れ始めた赤い小箱をながめているうちに、私は石で狙ってみたくなった。私は弟を誘って競争で次つぎに小石を投げつけた。私の石が先に小箱に命中した。ズボッとボール紙を貫く鈍い音が聞こえたような気がした。間もなく、小箱はゆっくりと水中に沈んでいった。
 私はハッとした。石投げの標的にされた小箱は、ただの箱ではない。あの中にはピーピーと鳴く四匹の子猫たちが閉じこめられていたのだ。
 その日、私は夕暮れのうす暗い道を、弟の手を引いて逃げるように家に帰ったのを覚えている。
 家に着いたとき、母は私たちに何も聞こうとしなかった。私は子猫を殺すことを命じた母に怒りを感じて、わざとはすっぱな調子で言ってやった。
「橋の上から思いっきり箱を投げてさ、あとから宏とふたりで、じゃんじゃん石を投げて沈めちゃった。すごく、おもしろかった」
「本当に、そんなことしたの、本当に」
 私は母のはげしい言葉におどろかされて、泣きながら返事をした。
「ううん、ウソ。でも、もう、したくない」
 すると、こんどは母が泣き出した。
「いいよ、もうさせないよ。ごめんね、わかったよ」
 そのころ三十二、三だった母が、まるで少女のように泣くのを私は不思議に感じた覚えがある。
 それ以来、母は二度と私たちに子猫の処分を頼みはしなかった。

   四

 私はクロがときどき魚を盗んでくるのを知っていたが、実際に現場を見ることはなかった。事件はたいてい母によって秘密のうちに処理されていたからである。
 もちろん、父が事件を発見する場合もたまにはあったが、それよりも母がないしょで始末する場合の方がはるかに多かった。もし、父がクロの事件のすべてを知ったならば、とっくにクロは家を追われていたにちがいない。
 私は何度か母からクロの事件について話をきいたことがある。しかし、母がすすんで私に話したわけではなく、私が偶然にゴミ箱をあけて証拠品を発見したことを母に報告したために仕方なく話したのであった。
 私は母の話をきくうちに、クロがどんなふうに魚を盗むのか実際に見たくなった。
 ちょうど、そんなとき、私はクロが魚を盗みだした場面に出くわしたことがある。
 ある日、小学校から帰ってくると、隣の魚屋と家との境の木戸が開いていて、その奥に黒っぽいものの動くのが見えた。おやっと思ってよく見ると、うす暗い路地で後ろ向きのクロが腰をふんばっている。何か材木の切れ端のようなものを口にくわえて後ずさりするつもりらしかった。
 クロが魚を盗んだのだ。私は直観した。その獲物はクロのからだと同じくらい大きなもので、黒くザラザラした面と赤っぽくぬれて光る面とがある。どうやら、それは皮つきのマグロの固まりのようだった。
 まず、私の頭に浮かんだのは、隣に知られてはまずいという考えだった。日ごろの母の口ぶりから、私はクロの盗みが原因で隣とのつき合いに差し障りがあるのを知っていた。ときどき、クロは盗みに失敗して背中に水をかけられて、びしょぬれでかけこんでくることもあった。
 とにかく、母に知らせようと私は家にかけこんだ。
 母は店の奥の事務机で帳簿をつけていた。
「父ちゃんいる?」
 私は店の中を見わたして小声でたずねた。クロを嫌っている父には話をきかれたくなかった。クロの盗みを知ったら父がどんな扱いをするかと思うと恐ろしかった。
「どうしたの、ただいまも言わないで。配達に出てるよ。何か用事かい?」
 母はペンを動かす手も止めないで、顔も上げずに答えた。
「ただいま、あのね、クロがね、たいへん……」
 どう言っていいのか、私は言葉につまった。
「クロが? クロがどうしたの」
 母は顔をあげて、こわいような目つきで私の顔をみつめた。
「サカナをひきずってる。路地で」
 母はペンを置いて、大きくひとつ息をついた。その顔にはおどろきよりも、さてどうしようかといった困惑の色が浮かんでいた。
「どこにいるの」
 母は机の脇にあった新聞紙をつかんで立ち上がった。
母の手ぎわは見事であった。クロに近づいて広げた新聞紙で獲物をうばいとると、路地に置いてあるポリバケツにさっと放りこんだ。
 クロはウウウッと低いうなり声をあげて、右の前足をふりあげて抵抗したが、そのかいもなく獲物をうばわれてしまった。そして、いつまでもなごり惜しげにシッポを立てて、母の足下にジャレつきながら追いまわした。母はクロをシッシッと追いとばした。それから、路地の入口でながめている私に向かって、向こうへもどれという合図をした。
 私はできるならクロの獲物がどんなものなのか、じっくり観察したかったけれども、仕方なく先に店へ戻った。
 私はクロに同情した。せっかくの獲物をとりあげられたうえに、ああまでされてはクロだってかわいそうだ。そんなことを思いながら、店の陳列ケースの鉛筆を並べなおしていた。そのとき、クロがおどろくべき速さで私の足下を走りぬけて裏庭へ消え去った。
 私はドキッとした。
 店に戻った母に私はふるえ声でたずねた。
「かあちゃん、クロをたたいたの?」
 母はだまりこんで、返事をしなかった。
 私はじっと母の顔を見つめた。母の目に悲しみが浮かんだ。あんなにクロをかわいがっている母がなぜクロをたたいたりするのだろうか。私は泣きだした。
 すると母はあわてていった。
「泣くんじゃないよ。かあちゃんだって、たたきたくないさ。猫は言葉がわからないから、仕方ないんだよ。だけど、おまえは口で言えばわかるんだからたたいたりしないよ」
 母は何かカンちがいしていると私は思ったが、その心づかいは胸にしみた。それでかえって母のことが心配になった。
 とにかく、平気なところを見せるつもりで、思いつくかぎりを一息にしゃべった。
「クロは、あのサカナぜんぶ食べる気だったのかな。でも、大きいから食べきれないし、おなかこわしちゃうよね」
 母の表情から緊張は消えていった。それから、ふいにまじめな顔にもどった。
「いいかい、今日のことは父ちゃんにはないしょだよ。もし、父ちゃんに知れたら、クロが追いだされちゃうからね」
「うん」
 私は母と秘密の誓いを交わした気分だった。
「でもね、クロだって本当はいい子なんだ。ただ、田舎と町のちがいが分からなくて、何でも取ってくればほめられると思っているのさ。かわいそうだけど、たたかなければ悪いことをしたのがわからないからね。クロはみんなにきらわれちゃうんだよ」
 私はもう一度うんとうなずいてから裏庭へクロを捜しにいった。

   五

 それから一年もたたないうちに、クロはじつにあっけなく死んでしまった。
 二、三日クロの姿を見かけないと思っていると、近所の靴屋の頭のはげたおじさんが店に来て教えてくれた。家の前の通りを渡った路地にクロらしい猫が死んでいるというのだ。たしか夕方のことで、私も母といっしょに確かめに行った。
 やはりクロだった。小さな黒い頭が、からだとは別のもののようにねじれて空を向いていた。からだは堅くなっていたが、どこにも血のあともなく、毛並みも美しいままであった。
 母は地面にしゃがみこんで、クロの死体を掌で何度も何度もなでて泣いた。涙が地面にぽろぽろこぼれ落ちた。しばらくしてから、母はクロの遺体をエプロンにくるんで抱き上げて家へ持ち帰った。
 母の診断によると、クロは前足を骨折したうえに顔面を強打していた。どうやら、県道を横切るとき自動車にでも接触したようだった。ちょうど、所得倍増などという政治家の言葉が聞こえ始めた時代で、県道を走る自動車の量は急増していた。
 クロの死体は小さなダンボール箱に納めて保健所にひきとってもらった。
「田舎にいれば、こんなことにならなくてすんだのに……」
 母がつぶやいた言葉を今でも私は思い出すことがある。そのたびに、私はクロの運命と母の経歴とを重ね合わせて考えてみる。母の育った土地は山の中だったとはいえ、母にとっては町の生活よりもよかったのかもしれない。母はそんな暮らしを望んでいたのではないだろうか。
 その後、私の家では母の強い希望で、また別の猫を飼うことになった。だが、それで母はクロのことを忘れてしまったわけではなかった。それからも、よく母はクロのことを話題にした。
 クロの死をいつまでも忘れなかったのは、やはり母なのである。

  (了)

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(2025年3月16日更新)

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【著者プロフィール】

わたなべ・ともあき=「話し・聞き、読み・書き」に関するコトバ理論の実践的研究家。群馬県桐生市出身。日本コトバの会講師、コトバ表現研究所所長。

主著▼2019『読書の教科書』▼2017『声を鍛える』▼2015『文章添削の教科書』▼2012『朗読の教科書』▼1995『表現よみとは何か』。

【HP「ことば・言葉・コトバ」】

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